「母と私」

 「ふみサロ」の6月の課題本、『記憶する体』の「若年性アルツハイマー認知症」からインスパイアされ、今回のエッセイを書いてみました。

 

 私の母はお見合いをし、24歳の時父と結婚した。 それと同時に仕事を辞め、家庭に入る、と決意したようだ。

その後、2男2女をもうけ、子育てに邁進した。

 

 私が子供の頃は家事に追われていたようで、いつもどこかイライラ気味で、

「子供が2人ぐらいの人は、気楽でええなー」と度々愚痴をこぼしていた。

その印象が深く刻まれた為かどうかは分からないが、私は子育てに追われることに否定的な思いを抱くようになってしまったようだ。

 

 適齢期になっても、私はさほど焦ることもなく、自分自身の生き甲斐を求めることに邁進していた。

 

 身内の私が言うのもなんだが、母は美しい人だった。 面長で鼻筋がスッと通り、肌も綺麗で、やや日本人離れしていた。

 

 一方の私のルックスは、父の遺伝子を多く受け継いだようで、母とは全く似ていなかった。

母は運動神経も人並みに恵まれていたが、私は全くの運動音痴であったー。

 

 同じ血を分かつ母と娘であるが、社交的でない、という共通項を除いては全く似ても似つかず、理解し合えることは殆ど無かった。

 

 昨年、天国へと旅立つ数年前に、母はアルツハイマー認知症と診断され、その進行は思った以上に早かった。

しかし、母は暴れたり、暴言を吐いたり、私達を困らせることは決して無かった。

 

 母が亡くなってから、母の着物箪笥を整理してみた。

綺麗に整頓された着物の中には私の物も含まれ、そのいくつかには付箋紙が貼られ、「佳子へ」と私の名前が記された物もあった。

 

 私は今そんな母の着物に袖を通す時、母を感じる。 母が生きてきた歴史を感じるのだ。

私達は全く違う人生を生き、生活を共にしていた時には全くと言っていい程分かり合えなかったけれど、今、私は母の娘なのだな…と実感している。